京都鉄道博物館へ行きました2

 皆さん、こんばんは、今日12月22日(土)は冬至です。健康で過ごせるように、カボチャの煮込みを食べて、ゆず湯に入ると、長生きできると言われています。21日(金)の天気は、曇天に薄日の天気で、気温は15℃程度まで上がりましたが、夜には雨模様になりました。今日22日は、小雨模様から曇天の予報ですが、クリスマスイブ頃から、冬の気候に戻るようです。気温の変化が大きいので、体調管理には、十分ご注意なさってください。





 今日は前回に続き、京都鉄道博物館へ行きました2です。既に、多くの方々がおいでになっておられると思いますので、概略だけのUPになります。


 屋内に展示されている230型233号機関車、1903年汽車会社製造、2016年3月に国の重要文化財に指定されています。



 背景の壁面には、蒸気機関車のナンバープレートが飾られています。



 500系新幹線521-1の展示です。いつ見ても、スピード感あふれるスタイルで、ほれぼれします。乗車定員と乗降ドアの関係で、のぞみ運用が、短命に終わってしまったのは残念です。現在はハローキティ新幹線などで見られます。



 583系寝台電車、クハネ581-35の展示です。筆者もかつて、583系寝台特急きりしまと彗星に乗車したことが有ります。



 クハ489-1の展示です。晩年は、夜行急行能登に使用されていました。ジャンパー線が多い横軽越えのEF63連結側では有りません。当初は回転式クロスシートでしたが、途中から簡易リクライニング座席に改造されています。



  特急つばめ、はと、寝台特急と急行北国、シュプール号のHMで、壁面に飾られています。



 EF52-1です。晩年は阪和線(竜華、天王寺、和歌山間)で活躍していました。当時の阪和線や貨物線では、他にED16やED60も運用されていました。



 1881年イギリスキットソン社製、旧番号の40号プレートを付けていますが、1800型1801号蒸気機関車です。
2004年鉄道記念物に指定されています。腕木信号機やOキロポストも併せて、展示されています。



 キハ81-3です。初のDC特急はつかりとして。151系(当時は20系)こだま登場2年後の昭和35年に、華々しくデビューしましたが、初期故障で、連日エンジンの過熱による火災が発生し、新聞で特急「がっかり」号と揶揄されていました。晩年には、関西方面では、紀勢線の特急くろしおに使用されていました。

 昭和36年には、改良型のキハ82が誕生し、初期故障も徐々に克服され、全国にDC特急網が整備されていきました。何れにしても、DMH17型という戦前に設計された非力な旧型エンジンに、少し手を加えただけで、冷房設備や二重窓など、重量がかさむ車体を、平均90㎞/hで、長時間走行するのですから、ローカル気動車とは違った酷使であったと思われます。



 100系新幹線、122-5003です。500系の次に、精悍なスタイルの車両だったと思います。



 DD51-756です、床下がピット状になっていて、下から動力の伝達構造が見えるようになっています。



 DD51-756の床下部分です。ピット内からの撮影です。



 EF66-35です、これも床下が見えるように配置されています。実動機関車はEF66-27だけになりましたが、ここでは、新製時の綺麗な姿が、見られます。




 EF66-35の反対側です、寝台特急さくらのHMが付いています。



 EF66-35を斜め上から見た写真です。


 次回は、子供に人気のHOゲージのレイアウト、C62-2号機のSLスチーム号などをUPします。鉄好きには、何度訪ねても楽しい場所です。余り頻繁に、家内を連れて出かけられないので、半年に1回程度が、丁度良いのかなとも思っています。


 今日は平成最後の冬至です。どうぞ皆様がたも、平和で長生きが出来ますよう、願っています。時間があれば、拙ブログも引き続きご覧いただければ幸いです。




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