石北貨物、特急大雪、キハ40のローカル、元ちほく高原鉄道などを撮る
皆さん、こんばんは、10月29日(金)の北大阪は、終日、晴れ時々曇りの天気で、気温は20℃程度迄上がり、明け方が9℃程度で、気温差が比較的大きな一日でした。まだ暫く、秋の気候で、曇り時々晴れの天気が続きそうです。コロナ感染の他、体調管理に十分ご注意なさってください。
コロナの感染者は、全国的に減少してきました。東京圏・名古屋圏・大阪圏・北九州は、過去のピークを大幅に下がりましたが、依然感染者は多くでています。医療崩壊を招かないよう、又自宅療養で亡くなる人が出ないよう願っています。
10月29日公表の感染者数は、全国で292人、空港検疫で1人、10人以上新規感染者が出た都府県は、東京24人、埼玉12人、群馬15人、愛知21人、岐阜14人、大阪52人、兵庫23人、山口10人、福岡12人などとなっています。
ワクチン接種が完了するまでは、くれぐれも、三密を避ける、うがい、手洗い、手指の消毒、マスクの着用などで、感染防止に努めましょう。
今日は、10月16日(土)に北海道留辺蘂付近で撮った石北本線の貨物列車をメインにUPします。

6082D、特急、大雪2号、網走発旭川行、キハ183-4558外4連、相内・留辺蘂間、
同上、後追い、

DF200-55牽引の時変8071レ、コキ12両+DD200-111、留辺蘂・相内間、

同上、少し引いています。どうにか後部補機が写っています。

同上、後追い、後部補機DD200-111外、釜前面の汚れが酷いですね!

4659D、遠軽発網走行、キハ40-1735+キハ40-1703、

同上、後追い、キハ40-1703外2連、
西留辺蘂のカーブで撮影予定でしたが、この場所に、撮り鉄さん2名が居たのと、直線で線路際の草刈りがされていたので、ここで撮影することに!、キハ40の普通列車迄撮って、引き上げました。一人は釧路ナンバーで地元の方でした。他の一人は、札幌から撮影に来られた、尼崎出身の方で、通過待ち時間に鉄道の話が弾みました。
この後は、家族サービスで、釧路へ移動して、丹頂鶴センター、鶴の展望台、釧路博物館などを巡りました。
道中、元ちほく高原鉄道の廃線跡をたどりながらでしたので、陸別駅、足寄駅、本別駅などに立ち寄りました。

陸別駅は、道の駅になっています。

元ちほく高原鉄道陸別駅です。トロッコ(軌道自転車)の走行体験と、気動車の運転体験が行われていました。

気動車の運転体験中です。車両はCR75-101です。車体の塗装剥離が各車とも進んでいます。

軌陸兼用の小型ユンボを使用して、枕木交換作業が行われていました。

陸別駅跡に留置された元ちほく高原鉄道の気動車、屋根付きの車庫にもう一両が留置されていました。

元足寄駅です、観光協会の物品販売所になっていました。

走行中の国道沿いにある放牧地で、丹頂鶴が居たので、撮影しました。

本別駅跡、こ線橋が残されていて、周辺は公園になっています。
直ぐ近くに、明治時代の橋台が残っています。

明治に築造された本別川のレンガ積橋台です。1910年に開業ですからその前に、築造されています。
※参考、大阪・京都間の東海道線は、1877年2月にイギリス人の指導のもと敷設され開業したので、イギリス式のレンガ積橋台や、マンボのレンガ積は、貴重な産業近代化遺産と言えるでしょう。また、イギリスで踏切事故が多発したので、事故防止のため、明治時代としては珍しく、路線の大部分が、盛り土高架になっています。そのため、イギリス式レンガ積のマンボが多く残っています。
撮影日の10月16日(土)は、朝から良い天気で、DF200P.Pの石北貨物8071レ撮影が出来たので、まず目的達成です。後は、家族サービスで、ひたすら釧路を目指しました。元知北線は、1989年6月に、三セクのちほく高原鉄道になりましたが、沿線人口が極端に少なく、路線延長が140km余と長いことから、赤字解消の見込みが全くなく、2006年4月に廃線となりました。足寄は、歌手の松山千春の出身地として有名で、一時期多くのFANが訪れました。
※10月29日(金)の夕刻に、近畿車両からメトロ17000系8両の甲種輸送が有りましたが、所用が有り撮り鉄できませんでした。いつも、拙ブログをご覧いただいている皆様方に、UPできず、お詫び申し上げます。
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コロナの感染者は、全国的に減少してきました。東京圏・名古屋圏・大阪圏・北九州は、過去のピークを大幅に下がりましたが、依然感染者は多くでています。医療崩壊を招かないよう、又自宅療養で亡くなる人が出ないよう願っています。
10月29日公表の感染者数は、全国で292人、空港検疫で1人、10人以上新規感染者が出た都府県は、東京24人、埼玉12人、群馬15人、愛知21人、岐阜14人、大阪52人、兵庫23人、山口10人、福岡12人などとなっています。
ワクチン接種が完了するまでは、くれぐれも、三密を避ける、うがい、手洗い、手指の消毒、マスクの着用などで、感染防止に努めましょう。
今日は、10月16日(土)に北海道留辺蘂付近で撮った石北本線の貨物列車をメインにUPします。

6082D、特急、大雪2号、網走発旭川行、キハ183-4558外4連、相内・留辺蘂間、

同上、後追い、

DF200-55牽引の時変8071レ、コキ12両+DD200-111、留辺蘂・相内間、

同上、少し引いています。どうにか後部補機が写っています。

同上、後追い、後部補機DD200-111外、釜前面の汚れが酷いですね!

4659D、遠軽発網走行、キハ40-1735+キハ40-1703、

同上、後追い、キハ40-1703外2連、
西留辺蘂のカーブで撮影予定でしたが、この場所に、撮り鉄さん2名が居たのと、直線で線路際の草刈りがされていたので、ここで撮影することに!、キハ40の普通列車迄撮って、引き上げました。一人は釧路ナンバーで地元の方でした。他の一人は、札幌から撮影に来られた、尼崎出身の方で、通過待ち時間に鉄道の話が弾みました。
この後は、家族サービスで、釧路へ移動して、丹頂鶴センター、鶴の展望台、釧路博物館などを巡りました。
道中、元ちほく高原鉄道の廃線跡をたどりながらでしたので、陸別駅、足寄駅、本別駅などに立ち寄りました。

陸別駅は、道の駅になっています。

元ちほく高原鉄道陸別駅です。トロッコ(軌道自転車)の走行体験と、気動車の運転体験が行われていました。

気動車の運転体験中です。車両はCR75-101です。車体の塗装剥離が各車とも進んでいます。

軌陸兼用の小型ユンボを使用して、枕木交換作業が行われていました。

陸別駅跡に留置された元ちほく高原鉄道の気動車、屋根付きの車庫にもう一両が留置されていました。

元足寄駅です、観光協会の物品販売所になっていました。

走行中の国道沿いにある放牧地で、丹頂鶴が居たので、撮影しました。

本別駅跡、こ線橋が残されていて、周辺は公園になっています。
直ぐ近くに、明治時代の橋台が残っています。

明治に築造された本別川のレンガ積橋台です。1910年に開業ですからその前に、築造されています。
※参考、大阪・京都間の東海道線は、1877年2月にイギリス人の指導のもと敷設され開業したので、イギリス式のレンガ積橋台や、マンボのレンガ積は、貴重な産業近代化遺産と言えるでしょう。また、イギリスで踏切事故が多発したので、事故防止のため、明治時代としては珍しく、路線の大部分が、盛り土高架になっています。そのため、イギリス式レンガ積のマンボが多く残っています。
撮影日の10月16日(土)は、朝から良い天気で、DF200P.Pの石北貨物8071レ撮影が出来たので、まず目的達成です。後は、家族サービスで、ひたすら釧路を目指しました。元知北線は、1989年6月に、三セクのちほく高原鉄道になりましたが、沿線人口が極端に少なく、路線延長が140km余と長いことから、赤字解消の見込みが全くなく、2006年4月に廃線となりました。足寄は、歌手の松山千春の出身地として有名で、一時期多くのFANが訪れました。
※10月29日(金)の夕刻に、近畿車両からメトロ17000系8両の甲種輸送が有りましたが、所用が有り撮り鉄できませんでした。いつも、拙ブログをご覧いただいている皆様方に、UPできず、お詫び申し上げます。
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コメント
No title
石北貨物は146キロポストは行かなかったのですね
2年前に訪れた時はやはり石北貨物画を撮影後は、同じように陸別駅から足寄に寄りました
2021-10-30 04:55 taroppe55 URL 編集
石北貨物
今回は、阿寒湖温泉泊でしたので、時間的に、白滝発祥の地や146KPには、時間的に無理でした。次回以降に、再度挑戦してみます。冬季は146KPへは、徒歩しか行けないので、白滝発祥の地、瀬戸瀬陸橋、遠軽駅、安国位しか撮れません。
いつも有り難うございます。
2021-10-30 06:57 トレインマニア2 URL 編集